2015年01月20日

小田原城と一夜城

快晴の18日日曜日、飯田町町会の初詣と新年会が箱根方面で行われた。

7:45町会防災倉庫出発、小田原城の大手門前にある松原神社を31名で正式参拝した。


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ここから歩いて小田原城は5分もかからない距離にある。



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秀吉により落城するまで小田原北条氏五代の城だ。北条氏と言っても鎌倉幕府の北条氏とは何の関係ももないと私は考えている。


桓武平氏である平将門を滅ぼした叔父国香の息子貞盛が桓武平氏の正当な流れとなったのだが、貞盛の時代から伊勢平氏と呼ばれるようになる。

壇ノ浦で伊勢平氏は滅亡したとなっているが、後北条氏の祖 北条早雲は伊勢平氏の流れと伝えられている。

難攻不落の小田原攻めに対し秀吉は無駄な流血は避け、城を包囲することで小田原城を脅かした。


有名な一夜城は下の画像の手前側の尾根伝いに造られた。ターンパイクの上部、中央の鉄塔の上に城があった。一夜城といっても実際は80日かかったそうで、完成後前の林を伐採して姿を一夜であらわしたのでその名になった。


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↑↓ 再建された小田原城天守閣より


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小田原城では30分程ボランティアガイドさんの説明をいただきありがたかった。町会新年会の会場、箱根湯本のおかだで12時から新年会、美味しい料理と温泉を堪能した。


三時前には出発して向かったのは一夜城跡、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みの技術はそれ以後の石を割るものとは全く異なるのでよく見てくださいと小田原城のボランティアガイドさんの助言をいただいた。

秀吉が近江の穴田衆を使い造ったもので、岩の奥行が長く崩れにくい本格的な造営だったそうだ。かなりの長期戦を想定していたのだろう。


天皇の勅使や大名たちを一夜城に呼び寄せ、力を見せつけたのだとも言う。先週TV東京の旅番組で、箱根温泉の開湯は秀吉がこの時湯治に訪れたのに始まると言っていたが、調べていないので真偽の程はわからない。


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度重なる地震に耐え、石垣が残っている


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一夜城最上部

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小田原城天守閣を見下ろしている

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一夜城駐車場には「一夜城鎧塚ファーム」があり、同行の皆さんはスイーツのお土産を買い求めていた。
相模湾の見晴らしが素晴らしい施設なので、箱根に行った時に寄り道する場所の一つになった。





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2014年10月27日

世界遺産 五箇山

古ネタになりますが世界遺産 白川郷を後にし世界遺産「五箇山」の菅沼合掌造り集落へ向かった。白川郷から金沢寄りに20分程の場所だが、こちらは高速出口からすぐ近くで渋滞もない。


「小さな世界遺産の村」とのキャッチフレーズのようだが、確かにこじんまりとしているが、合掌造りの家ばかりで、白川郷のように集落の中に普通の建物が建っていない。


観光客も白川郷のようには多くなく、観光バスも来ていない。


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谷間の集落は川に阻まれかつては孤立した集落だったので、流刑地であったそうだ。人が通うには渡した縄に籠を吊るして渡ったそうだ。




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2014年10月15日

世界遺産 白川郷

台風が列島を直撃したこの連休だったが、数ヶ月前から計画していた親兄弟10名の旅行を予定していた。沖縄から6名、東京から4名のはずだったが、あいにく土曜日の沖縄は台風の真っ只中、沖縄本島からの4名は結講で参加できなかった。



石垣島在住の両親はもしやということで金曜日に変更して出発したにもかかわらず、那覇への便が着陸できず関空へ向かってしまった。しかも到着は22:03、予想もしない事態であったが、ネットで運行状況を調べていたため、関空から送迎があるホテルを直前予約することが出来た。

両親には翌朝東京便に乗ってもらい、仕事を終えた私たち夫婦とともに小松空港へ向かった。

関空ではホテルを取れなかった人達が那覇への便を二日間待つような事態になったようだ。なにしろこの台風は沖縄あたりで停滞していたのだ。

というわけで両親は大変な思いをしたものの、無事参加することが出来た。

しかしすべて順調というわけでもなく、計画を変えながら台風に備えながらの旅行ではあった。

被災者の方や大変な思いをされた方には申し訳ないが、今回の北陸地方は天気に恵まれた。やや残念だったのは13日の土曜日は雨だったこと。

東京に台風が迫ってきたので朝のうちに最終便のJAL便をキャンセルして17:00のANA便を手に入れた。


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土曜日の夕方、画面中央は「槍ヶ岳」


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片山津温泉で泊まる。


翌朝も晴、宿から白川郷まで休憩を長くとっても高速で2時間はかからないが、連休のこと駐車場に入庫するのに結構時間がかかった。


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駐車場からは無料バスで診療所側入口まで送ってもらう。

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白川郷-7.jpg 和田家内部


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二階


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向こうの階段を登ると屋根裏部屋↓

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和田家二階の窓からの景色 ↑ ↓

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人出がすごく、景色のみ撮るのは結構困難で、なかなか良いアングルは確保できない。また、結構集落の中には普通のご家庭も多く、トタン張りの家や洗濯物などの生活感丸出しの感じがした。

広い地域なので住んでいらっしゃる方に求めるのは酷だとは思うのだが、世界遺産、行政の努力は今少し必要に思った。


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茅葺き屋根の維持管理はさぞかし大変だろうと思った。



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2014年09月26日

柱島(岩国)に眠る戦艦陸奥

20日21日の週末、2年前に開港したばかりの岩国空港に向かった。空港から岩国駅近くのビジネスホテルへは空港からタクシーで10分ほどしかかからなかった。

早速駅前の繁華街で夕食をとろうと出たのだが、連休中にもかかわらず街はひっそり開いている店も少なく、仕方なく「わたみ」に入店、トホホな夕食になってしまった。

翌朝昼食のお弁当をコンビニで調達し、岩国港から高速船で1時間程かかる柱島に向かった。

柱島はかつては海賊の島、その後強力な水軍となり歴史に名を刻まれた島なのだ。村上水軍とは民族的に違うとの話もあるが、確認することは出来なかった。


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ここから1日に4便 岩国→黒島→端島→柱島 への高速線が出ている。


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柱島には神様が何柱もいらっしゃるので、多くの神様がいらっしゃる島という意味で柱島と名付けられたという。290m程の山がある島なのだが、その中腹の峠にある「賀茂神社」さんに参拝した。


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港からは20分程だが、結構きつい登り道があった。


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この峠を港の反対側に下り、さらに畑の中を進むと戦艦陸奥が沈没した現場に着く。


柱島-5.jpg 戦艦陸奥英霊の墓



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この墓の正面2kmが戦艦陸奥が1122名の乗組員とともに爆沈した柱島水道だ。瀬戸内海の島々に囲まれた巨艦の停泊地、海の向こう側は江田島など海軍工廠があった地域で、戦艦大和もここから出撃した。合掌


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再び先ほどの峠を登り港方向へ戻った。島には島民の為の店はあるものの、観光客など来る島ではないし、釣り客も弁当持参なのでそれに習い景色のいい場所で弁当を広げる。帰りの船は14:10、まだしばらく時間がある。



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    ↑弁当を広げながら望遠レンズで港を撮った


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小さな漁村だが海は透明度が高く波も穏やかだ。


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東京へ戻る便は夜までないので、観光地「錦帯橋」まで夕飯を食べに行った。ここも連休中だというのに店は閉まりひっそりとしていた。

夕食のお目当ては「岩国寿司」、有名な店はどこも閉まっているので岩国観光ホテルのお食事処へ行った。設備も接客も二重丸、味も万点で、しかも安かったので、とてもラッキーだった。

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2014年07月01日

三峯神社

東京九段ライオンズクラブの旅行会があって、今年は私が幹事、埼玉県の西の端三峯神社に行ってきた。

三峯神社は秩父市内から車で1時間半、人里離れたニホンカモシカなどの暮らす世界に建立された古社である。創建は日本武尊の時代に遡る。

三峯神社は1533年天台宗修験道の関東総本山となる。明治になるまでは仏教と神社の境目は明確でなかったのだ。

江戸期の明和元年(1764)三峯神社に入門した普寛上人はその後木曽御嶽山や八海山などを開山した。普寛行者は奥秩父の大滝村に生まれたのだが、三峯神社の麓のあたりだ。


ニホンカモシカの生息地を抜けると秩父湖に出る、交互通行でダムの上を通り対岸に渡る。秩父湖は透明度が高くイワナもたくさん泳いでいた。

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ここから狭い山道を車で30分程登ると三峯神社だ(1101.5m)


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奥宮遥拝殿より三峯神社奥宮を望むも雲に隠れていた。

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ビジターセンターには付近に生息する動物たちの剥製が展示されていた。人の世界ではなく野生の聖域だと思う。

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秩父湖の下の川沿いの道ではカモシカの大群が見られるという。

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細い黒い線は私が若い時に縦走した経路で、途中の雲取山は東京都の最高峰で2017m。東京都の山でも、登り下りの連続で、道標も少なく山小屋も少ないので、富士山より余程難しい上級者の山だ。

人里から遠く、三峯神社から雲取山まで歩程5時間、そこから奥多摩まではものすごく遠い、今ではもう歩けないと思う。

三峯神社(1101.5m)→霧藻ヶ峰(1523m)→白岩山(1921m)→雲取山(2017m)→三条の湯→奥多摩  山と山の間は峠がどんと落ちている。




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