2014年06月19日

意外と身近な竹久夢二

若い頃はあまり好きではなかったが、年を重ね好きになったのが「竹久夢二」だ。

本店の二階には夢二のリトグラフと、この方の影響を受けた「カシニョール」のリトグラフが飾ってある。



岡山で生まれた夢二(竹久茂次郎)は17才の時福岡に移住、18才の夏九州から上京して早稲田実業に入学した。最初は戸塚の近藤家に住んでいたが、勉強に身が入らず飛び出しアルバイト生活をしていた。

苦学生だった夢二に同情し、第一銀行の重役土岐という人が市ヶ谷の自宅に書生として住まわせたのだ。(ここも良く散歩する場所)

夢二が正式に結婚した相手は「たまき(他万喜)」、たまきは先夫が病死したあと、早稲田の鶴巻町に絵葉書屋の「つるや」を開店した。(弦巻町は私が高校に通うのに使ったバス停の場所だ)

夢二は大正3年10月1日に日本橋呉服町二番地(現:八重洲1-2)に港屋という絵葉書屋を開いた。大手町から日本橋へ向かう途中に呉服橋の交差点がある、交差点の左手の公園がその場所だ。(ここも日曜日の散歩コース)

たまきも当然ここに同居するのだが、喧嘩が絶えず、夢二は家を出て神田区千代田町の借家に一人で住むようになり、神楽坂の芸者きく子のもとへ通いつめる。彦乃のこともありその後離婚。



有名な「宵待草」のモデルはお島さん、しかし神楽坂のきく子さん同様、夢二のひと時の相手でしかなかった。

夢二27才の夏、前年に離婚したたまきとどういう訳か銚子に旅行した。その際お島さんこと長谷川タカと出会いひと夏の恋をした。

宵待草は夢二の造語で月見草の事、夏が終わり嫁いでしまってもう会うことのできないお島さんを思って書いた詩と絵とのことだ。


港屋が開店してすぐに通っていたのが女子美の学生「彦乃」さんだ。夢二は永遠の恋人「彦乃」にのめり込む。

港屋で出会った彦乃と夢二は神田ニコライ堂や日本橋の一石橋(いちこくばし)を好んでデートを重ねたそうだ。

大正7年9月彦野は別府で病に倒れ入院、以後京都の東山で闘病した後、東京の順天堂病院に入院。

この頃夢二が住んでいたのが「本郷菊富士ホテル」だ。現在は空襲で焼失してしまっているが、ドラッグマルマツ春日店の裏、本郷菊坂のオルガノの敷地内(文京区本郷5-5)に石碑が建っている。明治の文豪ゆかりのホテルだ。

この時期から「お葉」さんがモデルとして菊富士ホテルへ通いだす。

大正9年1月16日彦乃永眠 23才の若さだった。

昭和9年9月1日夢二永眠 49才であった。


都心に住んでいるというのはそういう事かもしれないが、それにしても夢二は結構身近に暮らしていたように感じる人物だ。





posted by ZEN at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。