2012年10月24日

残したい風景

19才の春休み初めて石垣島に行った、友人と二人で予定もなければお金もなく那覇から船で渡った。海が荒れてひどい目にあったが、石垣島の朝は曇りだった。

石垣島には当時桟橋のところに信号が一箇所しかなく、舗装してあったのも中心街の一角だけだった。写真は撮ったが観光名所のみで街並みは撮らなかった。

私が産まれ育った飯田橋の昔の画像は父親が残した8mmフィルムとモノクロ写真が家に残っているのだが、今は見ることが全くと言っていいほどない。

親父はカメラが好きで、私の結婚が決まった頃の昭和55年にはナショナルのVTRを持っていた。持ち運びが出来るVTRのごく初期版で、当時50万円以上もする代物で、細かなアクセサリーを含めると一体いくらしたのだろう。

もらい始めた年金で買ったのだから文句も言えないが、当時摂ったVTRが親父のいい思い出になっている。

昭和50年代後半から飯田橋は再開発が活発になり、街並みは激変した。亡くなった親父が見たらさぞかし驚いたことだろう。自分自身は少しづつ変わっていくので、ラムラが出来たり、ホテルエドモントやアイガーデンができたりと喜んでいたものの、昔の画像は数えるくらいしかなかった。

自分でもハンディーカム等数台買って使っていたのだが、ここ10年以上ビデオは撮らなくなっていたのだ。

先日東北の慰霊の旅に行った際、復興前の様子はビデオで撮っておけば良かったと後悔した。あまりにもいろいろな場所に行ったので、どこがどうだったのか記憶を整理するのが困難だったのだ。

いくらデジカメでも撮る枚数はさほどでないし、時系列で並べないとどこの写真だか判別がつかなかったりした。


アマゾンでおすすめ品としてパナソニックの防水ビデオカメラが破格値で出品されていた。最近全く外に呑みに行くことが無くなり、家で安酒を少々飲む貧乏学生のような生活をしてるので、ま、この程度はいいかとビデオカメラを購入した。

充電したのみでまだ全く使っていないのだが、歴史の旅の備忘録として使おうと思っている。それにしてもハイビジョンカメラが2〜3万で買えるようになったのには驚いたの一言である。




posted by ZEN at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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