2014年06月23日

竹の会納涼会:ロボットレストラン

昨日の日曜日まだ夏はこれからというのに、早くも地元の青年団「竹の会」の納涼会が歌舞伎町の「ロボットレストラン」で行われた。

レストランといってもショー中心で、食べるものは普通のお弁当という事前の情報もあり、行く前にお腹を満たしてから出かけた。

参加者は19名で60歳以上は私を含め3名のみ、町会の若手の会におじゃました形だ。


九段下に集合し歌舞伎町に向かった。

ロボット-1.jpg アキバ系


ロボット-2.jpg ここが入口


三階の電飾で埋め尽くされたとても大きなフロアーでお酒をいただきながら開演を待つ。


1時間ほどすると地下2階へ階段で下ろされる。階段も電飾で埋め尽くされ目が痛くなる。大渋滞でなかなか下りられない、電気がショートして煙でも出たら逃げられないなと思わず寒くなる。


ド派手なショーが始まった。写真OKなら一眼レフを持っていけば良かった。スマホで撮影には限界がある。


ロボット-3.jpg



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ロボット-6.jpg




ロボット-7.jpg



日本人に人気というより外国人観光客の人気スポットになっているとのこと。この日も外国人のYOU達が半分近くと思うほどいて、中でも取材YOU達がすぐ前の席に陣取っていた。


ロボット-8.jpg 取材YOU達



「YOUは何しに日本へ」と聞いてみたが笑っていた。








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2014年06月19日

意外と身近な竹久夢二

若い頃はあまり好きではなかったが、年を重ね好きになったのが「竹久夢二」だ。

本店の二階には夢二のリトグラフと、この方の影響を受けた「カシニョール」のリトグラフが飾ってある。



岡山で生まれた夢二(竹久茂次郎)は17才の時福岡に移住、18才の夏九州から上京して早稲田実業に入学した。最初は戸塚の近藤家に住んでいたが、勉強に身が入らず飛び出しアルバイト生活をしていた。

苦学生だった夢二に同情し、第一銀行の重役土岐という人が市ヶ谷の自宅に書生として住まわせたのだ。(ここも良く散歩する場所)

夢二が正式に結婚した相手は「たまき(他万喜)」、たまきは先夫が病死したあと、早稲田の鶴巻町に絵葉書屋の「つるや」を開店した。(弦巻町は私が高校に通うのに使ったバス停の場所だ)

夢二は大正3年10月1日に日本橋呉服町二番地(現:八重洲1-2)に港屋という絵葉書屋を開いた。大手町から日本橋へ向かう途中に呉服橋の交差点がある、交差点の左手の公園がその場所だ。(ここも日曜日の散歩コース)

たまきも当然ここに同居するのだが、喧嘩が絶えず、夢二は家を出て神田区千代田町の借家に一人で住むようになり、神楽坂の芸者きく子のもとへ通いつめる。彦乃のこともありその後離婚。



有名な「宵待草」のモデルはお島さん、しかし神楽坂のきく子さん同様、夢二のひと時の相手でしかなかった。

夢二27才の夏、前年に離婚したたまきとどういう訳か銚子に旅行した。その際お島さんこと長谷川タカと出会いひと夏の恋をした。

宵待草は夢二の造語で月見草の事、夏が終わり嫁いでしまってもう会うことのできないお島さんを思って書いた詩と絵とのことだ。


港屋が開店してすぐに通っていたのが女子美の学生「彦乃」さんだ。夢二は永遠の恋人「彦乃」にのめり込む。

港屋で出会った彦乃と夢二は神田ニコライ堂や日本橋の一石橋(いちこくばし)を好んでデートを重ねたそうだ。

大正7年9月彦野は別府で病に倒れ入院、以後京都の東山で闘病した後、東京の順天堂病院に入院。

この頃夢二が住んでいたのが「本郷菊富士ホテル」だ。現在は空襲で焼失してしまっているが、ドラッグマルマツ春日店の裏、本郷菊坂のオルガノの敷地内(文京区本郷5-5)に石碑が建っている。明治の文豪ゆかりのホテルだ。

この時期から「お葉」さんがモデルとして菊富士ホテルへ通いだす。

大正9年1月16日彦乃永眠 23才の若さだった。

昭和9年9月1日夢二永眠 49才であった。


都心に住んでいるというのはそういう事かもしれないが、それにしても夢二は結構身近に暮らしていたように感じる人物だ。



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2014年06月14日

今回の断捨離終了

ゴールデンウイーク明けから始めた事務所のリニュアル、不必要なものを断捨離して終了。見回すと棚も結構スカスカで、本棚もいらない本は見当たらない。

今月末に三峯神社に出かけるのだが、資料を探していたら、どうやら年度が古いので捨ててしまったようだで、たまには失敗もある。

事務所内にあった商談用のほんの小さな応接セットは二階の待合室の椅子と机に生まれ変わり、ここでご相談を受けることにした。待合室内にあった三人がけのソファーは処分して、どなたかに貰われていった。

とういう訳で、私の事務所内は空きスペースが出来、ここで昼食や休憩が取りやすい、快適空間となった。

残念ながらTVは小さいものしかなく、オーディオも無いのだが、仕事中に事務仕事をする場所だからここにはふさわしくない。

ダラス窓にメカクシシートを貼ったため落ち着けるのだが、スタッフやカミサンに隠れ家のようだと言われている。


さて、先ほど長らく鹿児島から飯田橋のS医院に通われていた患者さんがいらした。鹿児島で重い荷物を背負わされ、心が疲れてしまわれていたのだが、その荷物も下ろすことができ、再びお嬢様と東京で暮らし始めたとのこと。

心の断捨離ができ、顔色、血色、明るさが見違えるようになり、70才を過ぎてとても綺麗になられた。この方とも数十年のお付き合いになるが、偶然であれ、必然であれ、心の断捨離も大切だと改めて考えた。



いつもスタッフや薬科大からきている研修生に話しているのだが、物事がこじれたら一旦コンセントを抜きリセットして再起動(PCにたとえている)すべきと思っている。

わけのわからない人と問題が起きたら、できるだけ早く立ち去り、あえて向き合わない。

当事者にとっては重大な問題に思えても、はたから見ればそれほどの事もなく、重大ではないことも案外あるものだ。心の平穏が乱れるのは、結構自分の思い込み、こだわりのようだ。

怒って立ち向かうより、立ち去りやり過ごしたほうがいい場合も案外ある。


PCのバグりも電源断してから最立ち上げすると、問題が解決することが多いのも同様と考えている。




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