快晴の18日日曜日、飯田町町会の初詣と新年会が箱根方面で行われた。
7:45町会防災倉庫出発、小田原城の大手門前にある松原神社を31名で正式参拝した。
ここから歩いて小田原城は5分もかからない距離にある。
秀吉により落城するまで小田原北条氏五代の城だ。北条氏と言っても鎌倉幕府の北条氏とは何の関係ももないと私は考えている。
桓武平氏である平将門を滅ぼした叔父国香の息子貞盛が桓武平氏の正当な流れとなったのだが、貞盛の時代から伊勢平氏と呼ばれるようになる。
壇ノ浦で伊勢平氏は滅亡したとなっているが、後北条氏の祖 北条早雲は伊勢平氏の流れと伝えられている。
難攻不落の小田原攻めに対し秀吉は無駄な流血は避け、城を包囲することで小田原城を脅かした。
有名な一夜城は下の画像の手前側の尾根伝いに造られた。ターンパイクの上部、中央の鉄塔の上に城があった。一夜城といっても実際は80日かかったそうで、完成後前の林を伐採して姿を一夜であらわしたのでその名になった。
↑↓ 再建された小田原城天守閣より
小田原城では30分程ボランティアガイドさんの説明をいただきありがたかった。町会新年会の会場、箱根湯本のおかだで12時から新年会、美味しい料理と温泉を堪能した。
三時前には出発して向かったのは一夜城跡、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みの技術はそれ以後の石を割るものとは全く異なるのでよく見てくださいと小田原城のボランティアガイドさんの助言をいただいた。
秀吉が近江の穴田衆を使い造ったもので、岩の奥行が長く崩れにくい本格的な造営だったそうだ。かなりの長期戦を想定していたのだろう。
天皇の勅使や大名たちを一夜城に呼び寄せ、力を見せつけたのだとも言う。先週TV東京の旅番組で、箱根温泉の開湯は秀吉がこの時湯治に訪れたのに始まると言っていたが、調べていないので真偽の程はわからない。
度重なる地震に耐え、石垣が残っている。
一夜城最上部
小田原城天守閣を見下ろしている
一夜城駐車場には「一夜城鎧塚ファーム」があり、同行の皆さんはスイーツのお土産を買い求めていた。
相模湾の見晴らしが素晴らしい施設なので、箱根に行った時に寄り道する場所の一つになった。